瓦の瓦版っ!

適当まいらいふ

久しぶりぃい良いい

友達がはてなブログを始めたから、なんか負けたくないなーって思ってブログ書く。けど、友達に感化されて、昔に始めて更新全くしてないのにこうやって書くのは、その時点で負けてるし、ださすぎる…。くっそ。

 

んでこれまでの投稿を見直してみたら、ブログってやっぱり面白いなぁって思った。Twitterも好きやし、Instagramはそんな好きちゃうけど、ブログも全然負けてないし面白いなって思う。って考えると俺にはブログが向いてるのかもしれん。

話変わって、今Instagram消してるんやけど、自分の知らんとこで友達たちのコミュニティあると思ったら、これまでそこにおった側からしたらちょい怖いなって気持ちが出てきた。でもそんなこと考えてるうちはまだまだ浅はかやな。SNSに俺らは支配されとるって改めて感じる。まあ良いとこもあるから良い距離の付き合いが必要なんやろうな。

 

あ、なんでInstagramを消したかって?それは彼女さんに消せって言われたからです(笑)

そんでInstagramを消せと言ってきた彼女さんはTwitterも消しんかと言われてます(笑)

ありがとう!!!

f:id:kawarax:20190315033503p:plainありがとう。ななちゃん。

 

一昨日、家族のななちゃんが旅立った。17歳だった。人間で言えばとうに100歳は越えていた。正直なながいなくなった実感はない。ただぽっかりと心に、とても大きな大きな穴が空いている感じはする。

あれは突然の出来事であった。ななは夜の11時前に痙攣を起こした。雨の日であった。思い出すと今でも心が苦しい。とても苦しそうなあの顔。見たこともないような震え。目に正気はなく、必死にもがいていた。最初はそれをどうすることもできず、ただ寄り添って声をかけることしかできずにいた。少しして、夜間の動物病院があるのではないかと思い、急いで検索した。すると一件だけ見つかり、また少し考え電話をした。今考えると、病院に電話するまで20分くらいかかった。自分のこんなときの無知さとパニックで正しい思考ができないという無念さにとてつもない怒りを感じる。

急いで病院へ向かう準備をした。運転は母に任せ、俺は必死にななに声をかけ、負荷をかけないように一生懸命抱えた。病院につくまでの20分間のあのななの尋常じゃない震えは一生忘れないし、どれだけななが苦しんでいたかこの腕と体がしっかりと覚えている。

病院につくと先生がすぐにななを抱えてくれて、奥の部屋へと持って行った。俺はパニックで「お願いします!」とも言えず、ただななを渡すことに必死だった。それからはすごい時間が長く感じた。待ち合い席で待っていたのだが、いてもたってもいられなかった。

 

どれくらいの時間がたっただろうか、やっと先生が来てくれて、ななの状況を聞いた。「どうなるかわからない」とのことだった。薬かなんかの処置で痙攣はおさまっていた。

俺は痙攣がおさまり、とりあえず安心した。しかし、年齢が年齢なのもあり、この先状態がどうなるかは分からなかった。また、長い痙攣により、重度の後遺症が残るであろうとのことであった。俺は一命をとりとめ、渾身に「ほっ」とした。

ななは昔から大きな病気もケガもしたことがなく、あり得ない程の健康体に加え、17歳という超高齢だが、大きく弱ることもなかった。死ぬなんてことはない。ずっと俺らのそばにいるんだ。俺の大切な家族なんだ。と思っていた。

 

 次の日、俺ら家族はななに会いに行った。病院にお見舞いに行ったのだ。面会室というところにななを運んでもらい、我々もそこに行った。ななは息をしていた。ななは点滴をしていた。ななは生きていた。ななは生きていた。横たわったままであったが、いつものななが帰ってきた。たくさんたくさん撫でてあげ、たくさんたくさん話した。体を動かすことができず、いつものように反応はしてくれなかったが、ななは必死にまばたきで反応をしてくれた。あれは普通のまばたきではなく、反応をしてくれているまばたきだった。俺は嬉しかった。うちのななちゃんは最強で不死身なんだと。

20分ほどすると、目を閉じ始めた。倒れてから初めての移動と俺らが来て話しかけて撫でて反応をして、疲れたのであろう。そのうとうとは天使のようにかわいかった。我々は名残惜しいながらもななちゃんにお別れをし、また明後日ね!と面会室をあとにした。

 

 それは面会の次の日だった。日曜の夜中に倒れて入院をし、月曜の夕方に面会をし、火曜の夜のことであった。そのときは雨は降っていなかったと思うが、6時半頃に大きな通り雨が降った。

ななちゃんの呼吸能力が落ち始めており、今晩息がもつか分からないという病院からの連絡であった。家族全員で病院へと向かった。正直そんなことを知らされて、希望を持ったまま病院へ向かうことはできないし、もうダメなんだと俺は思ったし、家族もそう思っていただろう。そう思ったが覚悟はできないまま、みんなは病院へと向かった。車には息苦しい緊張感が走った。すると、電話がかかってきた。病院からだ。「様態が急変した」とのこと。俺の心は「無」になった。涙も出ない、声も出ない、ただ理解ができなかった。

 

病院につくと我々は急いで奥へと進んだ。そこには、心臓マッサージを受けているななちゃんがいた。先生は必死で必死でマッサージをしてくれた。今考えると臓器は大丈夫なのかというくらいなのだが、先生は必死に心臓マッサージをしてくれていた。その時点で助かる見込みはないのだと我々は悟ったのかもしれないが、「がんばれ」と叫び祈るだけで、何もできなかったし、先生に何も言えなかった。続けてくださいとも、やめてくださいとも。少しして心臓マッサージは終わった。もう無理だということだ。ななは死んでしまった。「命」の尊さを知らされた。感じさせられた。知りたくなかった。感じたくなかった。

それから、箱にななちゃんを入れてもらい、家まで運んだ。家に着き、車から玄関まで運んだがななちゃんは重かった。これで死んでいるのか、と。寝ているだけではないのか、と。倒れた日もだったが、この日も全く寝れなかった。心が痛かった。消えてなくなりたいと思った。死にたいと思った。

家に帰ってから、家族とななちゃんをどうしようと話し合った。とても簡単に言うと遺骨を貰うならば、民間の火葬。貰わないなら、市の火葬であった。色々と話し合って、色々と考えた結果、市の火葬場に持って行くことになった。持って行くなら次の日か、となったが、それはあまりにも早いとなり、明後日持って行くことになった。

ということで次の日はななちゃんのお別れ会を開いた。家族全員でご飯を食べた後、ななちゃんに手形を取らせてもらったり、少し、毛をもらったりした。ななちゃんはとてもキレイな顔で寝ており、未だに信じれなかった。その後、花を顔の周りに添え、会はお開きとし、明日へと備えた。

家族の都合上、夕方しか火葬場へ持っていけなく、お父さんは仕事だったが合間をぬってなんとか駆けつけてくれた。弟と妹は学校を早退した。俺は入れてたバイトを休んだ。母はパート終わりだった。おばあちゃんはまあ特に何もはなかった。当たり前かもしれないが、家族の愛を感じた。

火葬場は市がやっており、ただななちゃんを渡すことしかできなかった。それを当然分かってそこに持って行ったのだが、別れはとても辛かった。最期に顔を見たが、相変わらず美しい顔で寝ていた。とても死んだとは思えない顔で。「よろしくお願いします」と我々家族はその場を後にし、ななちゃんとの本当のお別れを告げた。大雨ではなかったが、ほんの少し雨が降っていた。

 

ななちゃんが倒れたとき雨が降っていたこと。ななちゃんの容態が急変する直前大きな通り雨が降ったこと。最期のお別れの時にほんの少し雨が降っていたこと。

これが何を意味するかは分からないが、ななちゃんの力なのだと思う。ななちゃんからのメッセージなのだと思う。正直今俺はめちゃくちゃ辛い。考えると涙が止まらんし、死にたいし、俺の命で生き返るならどうぞ捧げる。あと、もっとななちゃんに良くしてあげれたし、お世話も適当やったなとか、毎日会ってなかったなとか、去年洗ってやれんかったなとか、散歩もっとしてやったらなとか後悔が山の山の山のように出てくる。

でも何をしても何を思ってもななちゃんは生き返らへん。旅立ったまんま。この家に帰ってこーへん。でもいつまでも泣いてられへんし、そんな姿ななちゃんは見たくない絶対。やから、これからは自分のためにも家族のためにも、悔いのないように生きていこうと思う。できることは全てして、全力の全力でやりたいことして、生きてる時間を名一杯生きようと思う。ななちゃんが生きれへんかった明日を…そんなかっこええことは言われへんけど、ななちゃんのためにもななちゃんの分も一生懸命生きる。んで100歳まで、いや200歳まで生きたる。

目に見えるななちゃんはおらへんけど、心の中にはななちゃんはおってくれる。俺がこれからどんな人生歩むかまだ分からへんけど、俺のそばから離れんといて欲しいし、困ったときはまた助けてほしい。もーよくわからんくなってきたけど、ななちゃんありがとう。こんな俺ですまんかったな。ほんまに生まれて来てくれてありがとう。これからもよろしくな。ななちゃん好き。ななちゃん大好き❤️
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I want to 肝sit

初めての社会人フットサルの公式戦に出た。

まあゆーて市の3部のリーグ戦なんやけども、やっぱり公式戦は違うかった。それは相手もやし、自分もやし、仲間も。いつもよりプレーに気合いが入るし、ゴールにこだわるし、貪欲になるし、もちろんいつも通りの悪いプレーも出るし、緊張はするし、焦るし(笑)

んで、2試合目なんやけど、わりと荒めな感じのおっさんがおって、後ろから押されてこれた訳よ。まあわりとあからさまに押してきてよ、俺も大胆にこかされたんよ。これだけは言えるけど、大げさにはこけへんかった。まあそれで、イエローが出たわけ。そしたらそのおっさんが「勝手に倒れたやん」的なこと言ってきてよー(笑) 俺からしたら「へっ?」って感じよ。で、まあそんな人もよくおるし、だるいなーって思いながら切り替えプレーに戻った。

んで、今回の問題はそこ!そこなんよ!今思うと、もっとリアクションしとけば良かったなぁって(笑) 喧嘩売るとか、やり返すとかじゃなくて、相手につっかかるくらいの勢いあっても良かったなーと後悔。もっとエゴを出さなあかんなーと。そのためには肝は座らせなあかんし、自我をしっかり出せるようにせなあかん。やから次の試合からは、良い意味で自己中になろうと思う。んであのおっさんに言ってやる「おっさんなにしてん?しょーもないって」って。

いきなりだきょ

あ、また書くの遅なったw

遅くなることで、また反省するけど、また同じことを繰り返してしまう、、、。いっそのことこのブログの主旨を変えようか。俺のネガティブシンキングを吐いて、次にポジティブシンキングをするという、自己満のブログにしてしまおうか。とりあえず、だらだら偽善の文を書いても仕方ないので、ここで終わろう。バカ野郎偽善ブロガー。

またやん!

やばっ、また書かずに寝てまいよった!!

こうやって、書くのを忘れ、眠たくなって、書くのを思い出しても、もうその時点でアウトっ!!ギリギリはいけません!やし、眠たかったら文章の質も悪くなるし、ほんまいーことない。やからこそ、やることは先にやっとかなあかん!って何回も何回も思っとるけど、全くできてないのがここ数年の自分。口はだけでも言えるし、ここはそんな弱音はいて、反省する場所でもない。ネガティブなことは書かずにいきたいし、ネガティブなことしか考えれんような状況にもしたらあかんよな。しかも、ブログ再開してまだ3日くらいや。しょうみ今は三日坊主の内やから、ほんま続けるように習慣化せなあかん。書くだけじゃなくて、読むことも大切なんよ。「本」を読まんといけんのよ。読みたい本もいっぱいあるし、そのためにも時間はきっちりしよう。きり悪いけど、とりまおやすみ。

たいむ

気づいたらこんな時間、、、。

今日は昼に起きた。今日ってもう明日になってるけど。いや、ゆーたらきのうか。いや、まだ寝てないから今日や。なんか時間って無駄にもできるし、むっちゃ有意義にも使える。最近はほんま無駄にしとる気がする。これじゃダメや。変える、変わる。昔から時間を無駄にしすぎとる。よく考えてみれば、小学生とか中学生のときは時間を有効に使ってたと思う。なんや今は、なんや高校とか大学行き始めてよー。あかんな、ほんまあかん。まあ色々言いたいけどこんくらいにしとく、中身があるようで中身のない話になってまうから。さあ、おやすみなさい。